性別適合手術とはなんなのか、わからない

私がトランスジェンダーなのは、女でも男でもあって、そのどちらでもないという意味でトランスだ。そしてこれは、産まれる前からそうだ。トランスだけではなくてそもそも、インターセックスでもある。私は、 sex も M でも F でもないし、genderも woman でも man でもない。
だからここは、”transaki.com” と謂う。

日本とか称するところは悪辣卑劣で、「日本」の戸籍制度の性には、男・女しかない。よって私の性は戸籍上禁止されて存在を消されていて、つまり日本と称する社会では、私は存在しない。よって私は、日本人ではない和人である。

さらに残虐な「日本」とかいうのは、2つしかない性を強制するだけではあきたらず、戸籍上のその性を正すのにも不妊手術を強制する。UNも非難しているが、UNが言おうと言わなかろうと、日本は邪悪である。

さてそれで、私は、どちらかというと女に近いが、女でもない。性ホルモンの状態によって状態が変化する。「性」(binary) には、私の sex も gender もない。身体の状態で変化するということは、gender fluid であるともいえる。インターセックスなのだからしかたがない。

つまり、私には「性別適合手術」(sex reassignment surgery ; SRS)という概念があるのだろうか? ないと考えられるのだ。

世界中にはいまも普通に、インターセックスで生まれた人を「矯正」する手術が多数行われている(参照: https://interactadvocates.org/ )。健康上で不必要手術であってもだ。生まれながらにインターセックスなのに、「ありのまま」であることを認めない。いわばこうした手術は喩えば「形成外科」ではなく「美容整形外科」のようなことをやっているわけである。
(そもそも、シスヘテロ以外の例えばゲイやバイセクシュアルに対しても「矯正」と称して拷問虐待が行われているが。)

それでたとい私が、男に寄せようが、女に寄せようが、いずれでも満足な結果がないことはみえている。
かりに例えば女に寄せてみたところで、それで楽しくなるか(楽になるか、重荷から解放されるのか)、想ってみたらば、そうはならないことが予想される。

「性別適合手術」を受けたいという人々は世の中に多くある。それで実際に受けてみたらば重荷から楽しくなれるのだろうけれども、なぜ受けたいかという感情を想ってみると、羨望や憧憬もあるのではないかという気がする。(勿論、「日本」の戸籍を直すために強制される人が多いのもそもそもである。)

そして私には、「異性」に対する羨望や憧憬が、ない

手術をしたとして、どちらかに「矯正」と称する強制をしたところで、私は楽にはなれなさそうである。オスの穢さも、メスの穢さも、私は知っている。中性的で無性的な私の身体であるが、オスの身体もメスの身体もよく知っている。オスの外性器もメスの外性器もよく見知っている。そのどちらも厭だと思うのであるから。

私のエイセクシュアルも生まれながらのものだ。オスともメスとも性交渉をしたくない。実物をみると欲情してこず、嫌悪感が出てくる。それと恐怖。寝たくもないし、同棲したくもない。

これが「あるがまま」( as is ) である。free である。frei, libre, frihet … もとからそういうものということ。現実。

つまりこれは、私に関する問題なのではなく、社会が現実を違えていることが問題なのである。私に原因が在るのではなく、日本とかいう現実否定の捏造(フェイク)のワガママ国家に原因が在り、これを糺さねば、私は勿論、多くの人々が救われない。そもそも所詮ヒトの分際である人々なのに、現実ではないジェンダーバイナリーの人造概念に呪われているのである。だから、この呪いを解いたらば、現実に合うことにより、誰もが救われるのである。特定のトランスジェンダーやインターセックス層だけが救われるのではない。

人類はワガママだ。自己中心的だ。ヒトは所詮動物であるのに、自分達の脳内概念で世界を見間違えている。この呪いもみずから解いて、覚りに達さねばならない。これを言い換えれば progress (進化;進歩;成長)ということであろう。

世界の多くの生物に、インターセックスもあるし、ヘテロセクシュアル以外もある。社会でジェンダーの役割を強制するのも、人類が奇特なのである。

なぜ強制するのか?
それは、既成の社会構造を死守したいからなのだ。そして、人造のその社会構造に安住したい人々の甘えが存在するからなのだ。それで現実を否定しているから、ほころびが現れているのである。